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夏休みにCinque Terre( チンクエ・テッレ )観光を計画されている読者の方へに向け、情報共有です。
※写真がタップリですので、画像が重いかもしれません。

嫁の強い要望に応え、渋々行った、Cinque Terre( チンクエ・テッレ )でしたが、
生来、観光地嫌いの僕でも、予想外に楽しむ事が出来た素敵な所でした。
これもひとえに天候に恵まれた為と、美味しい食事を堪能できた為でしょうか。

世界遺産であるチンクエ・テッレは、「 Portovenere, Cinque Terre, and the Islands (Palmaria, Tino and Tinetto)
/ ポルトヴェーネレ、チンクエ・テッレと小島群(パルマリア島、ティーノ島とティネット島)」として、
リヴィエラ海岸の東側にある5つの村と島々の一帯が文化遺産として登録されており、
西より、Monterosso al Mare( モンテロッソ・アル・マーレ )、Vernazza ( ヴェルナッツァ )、Corniglia ( コルニリア )、 Manarola( マナローラ )、Riomaggiore( リオマッジョーレ )と、5つの村が並びます。

ミラノから車で移動した時間を含め、2泊3日と短い滞在時間でしたが、
「どうせチンクエ・テッレを観光するなら、可能な限り観光名所の村を巡ろう!」と考え、旅行計画を立てました。
11世紀に要塞都市として誕生て以来、チンクエ・テッレに住む人々は、約1000年の間陸路での往来が不便で船での往来をしてきたそうです。
その暮らしの片鱗を覗くべく、船から全ての村を観ようと作戦を練りました。

当初ポルト・フィーノに拠点を構えようと、Verona.comでホテルを検索。
しかし、途中でピタリと手が止まってしまいました。
どうやらこの村の周りは、お金持ちがヴァカンツァに集まるリゾート地的エリアのようで、
港近くの立地の良いホテルは何処も高級ホテルばかり。
チンクエ・テッレ観光の先にピエモンテでの食い道楽も楽しむ算段をしている手前、宿代は節約したい気持ちもあり、
チンクエ・テッレに程近い、 La Spezia ( ラ・スペツィア )に宿を取ることにしました。

ラ・スペツィアは、ピサの斜塔で有名なトスカーナ州のピサとリグーリア州のジェノバの、丁度中間くらいの地点にある町で、イタリア最大の軍港が有る港町です。
夜、高速の出口から市内へと向かう海岸線は、軍事工場や船のドックの光が辺りを煌々と照らしていました。

ホテルを検討するにあたり、マスト条件としたのは、
1. 清潔で安いこと。(朝食付、一泊1万円以下。僕が予約した時点では為替レートは、1ユーロ120円でした。)
2. チンクエ・テッレ観光の船乗り場に近いか、シャトルバスで送迎してくれること。
3. ホテルの敷地内に駐車場があること。
(日中安心して車を駐車することができ、かつ、フリウリで貰ってきたワイン達を冷暗するために部屋に運び易い)
4. 食い道楽をするにあたり、高速道路のインターに近いこと。
の4点。

流石に3.のワインを全て冷暗できるクーラーは無く、
冷たい大理石床が敷いてあるクローゼットにしまいました(この時点でワイン12本用段ボールが2個)が、
僕らが宿泊した Hotel Ghironi ( ホテル・ギローニ ) は、これらの要件を完璧に近いレベルで満たしていました。

しかも幸いな事に、フロントの女性が僕の第二の故郷であるエクアドル人で、しかもグワヤキル出身のフランクな方。
チェックイン早々イタリア語しか話せない嫁を尻目に、20年ぶりに使う南米訛りのスペイン語で
グワヤキルからバカンスでやって来た彼女の家族の話や、
オタバロやクエンカ等、エクアドルの美しい街の話で、大いに盛り上がってしまいました。
(後になってこの場の深いコミュニケーションのおかげで、我が身を助ける事となりました)
もちろん、イタリア語以外に英語も問題なく通じます。

ホテル・ギローニの最大の売りは、やはりチンクエ・テッレ観光をする上でのアクセスの良さで、
朝2回、午後1回、ホテルからラ・スペツィア港にある船の乗合い場までシャトルバスが出ます。
もちろんチンクエ・テッレに向かう鉄道に乗ることが出来る、ラ・スペツィア駅までのシャトルバスも出ています。(便数は極少なので、基本は市バスで移動した方がよいでしょう。)

さらに素晴らしいのは、
チンクエ・テッレの村々を結ぶ鉄道や観光スポットである「 VIA DELL'AMORE (愛の小道)」の往来が可能な
「チンクエ・テッレ・カード」を同ホテルのフロントで購入できます。
「チンクエ・テッレ・カード」は裏書き欄にキチンと自署しなくてはならず、違反している利用者は罰金を科せられるそうです。
また、電車に乗るときはカードの有効利用期限を印刷するために、始めに黄色い機械に通さなくてはなりません。(一番始めに利用する時、1回だけでOK)

部屋に入り、荷解きを済ませ、ホット一息。
フロントでもらった地図を見ながら、
「モンテロッソは綺麗なショッピング海岸らしいから、今回はやめて、ラ・スペツィアからヴェルナッツァ港まで船で移動し、
ヴェルナッツァ村から順番に電車で東へ移動しよう。運が良ければポルトヴェーネレまで、1日で観て回ろう」と、
かなり無茶なタイム・スケジュールを設計しました。
既に「観光」というよりも、スポーツ感覚。(正に、試合前夜の気分。)
「明日は歩くぞ」と堅く心に誓い、いざ、晩御飯へ。 
疲れもとれぬまま、今来た高速道路を戻り「Ne(ネー)」という山奥にある片田舎まで、GPSを頼りに片道1時間。
これがなんと、断崖絶壁が連なった山麓の上にあるという、恐ろしく辺鄙な所にあるレストランでした。(このレストランの話は後日記載します。)

翌朝ホテルのフロントに8時半に集合し、ラ・スペツィアから出る船の発着場へ。
チンクエ・テッレに向かう最初の船は、9時15分に出発予定。
ラ・スペツィアからチンクエ・テッレに向かう便では、進行方向右手にチンクエ・テッレが見えるのは誰もが知っているので、
船のチケット売り場にはいち早く並んでいる必要があります。
アクセスの優れたホテル・ギローニのシャトルバスに乗ってきた我々は、いち早く到着し、行列の最初に並ぶことができました。
(でも後からどんどん地元の手配師みたいのが割り込んでくるので、サッカーのディフェンダーの要領で体から当たって侵入を阻止する必要あり)
船頭さんの話によれば、生憎この日は海の状態が不安定で、計画していたヴェルナッツァ港には船は停船できず、
一つ奥のモンテロッソ・アル・マーレならば船は出せるとのこと。
どうやら、海の男達はその日の天候や波の状態を見極めた上で、停船する港を決めているようです。(悪天により全便欠航あるでしょうね)
シャトルバスの運転手さんが「今朝、港に電話した時は、船が出るかどうか微妙と言われたので、実際に港に行ってみないと・・・。」と言っていた意味が判りました。

無事眺めの良い2階席右側が確保出来ても、安心してはいけない。
観光客同士の微妙な縄張り争いだけでなく、風や水しぶき、不意の船揺れや強い日差しが襲ってきます。
特に雨上がりは注意が必要で、船の屋根に水が溜り、船が揺れると水がドバっと落ちてきます。
しかし、それらのストレスを差し引いても、やはりチンクエ・テッレ観光は
「一度は海から各村を眺めるべき」だと思います。
(正直どの村も似たような風景なので、船から眺めるだけなら片道で十分ではないかと思います)

以下は、ラ・スペツィアから、ポルトヴェーネレを通り、モンテロッソ・アル・マーレまでの短い船旅風情です。
読者の皆様もクルージング気分で写真を楽しんで下さいね。
ここが、ラ・スペツィアの船乗り場です。
「5 Terre 」5つの大地で、チンクエ・テッレ。実に分かり易い。
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ホテル・ギローニのシャトルバスの運転手さんは、この乗り場の前までガイドしてくれました。
まだゲートは閉まっていますが、団体客のガイド達(なぜか派手な色の傘を差している)がグリグリ割り込んで、チケットを買おうとしますので注意が必要。

いよいよ、ラ・スペツィア港を出発。
左手の軍港には、007の映画に出てきそうな格好いい黒い船が泊っていました
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Portovenere( ポルトヴェーネレ )が近づいてきましたよ。
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ポルトヴェーネレを前に突如、接岸。何故かここで乗り換え。
せっかく早く並んで眺めの良い席を確保したのに、ここで下船とは。
船の調子が悪かったのか、「後からやって来くる別の船の船に乗り換えろ」と宣う、屈強な船頭。
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別の船を待つ船乗り場はかなり混乱していました。
団体客を押しのけ、イタリア人に負けない列並びで素早く乗船し、再び眺めの良い席を確保。
こういうシーンではガッツを見せないと本当に泣きをみます。サムライ魂をなめるなよ!!

再度チンクエ・テッレに向け出発。
次第に迫ってくる美しいポルトヴェーネレの町並み。
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ポルトヴェーネレの観光名所である、San Pietro(サン・ピエトロ)教会が見えてきました。
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San Pietro(サン・ピエトロ)教会が立っている岬の突端を、くるりとまわります。全方位的に教会の外観を眺める事が出来るのは、船の旅ならではです。
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チンクエ・テッレに向け、船は進みます。
大陸プレートの移動によるエネルギーの凄まじさを物語るかのような、何層にも重なり波のようにうねる地層と、切り立った海岸線の連続。
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十字架が立っているこの島は、ポルトヴェーネレ南にあるティーノ島同様、宗教史上、また領海上で重要な意味があるそうです。しかし、あまりに小さい!
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某国の潜水艦によって事故を装い破壊されないかと国防が心配する、沖ノ鳥島よりも、遙かにくっきりと海面に出ています。


Riomaggiore( リオマッジョーレ )が近づいてきました。
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船頭さんも心得たもので、観光スポットでは船を近づけてくれます。

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さらに船は進みます。断崖絶壁沿いの遊歩道である「愛の小道」が見えますね。
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船はManarola( マナローラ )に近づいてきました。
船の進む向きからは後ろ向きとなってしまい、うまく撮影はできませんでしが、
切り立った突端の上の集落の風景は、この船からも十分眺めることができました。
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Vernazza ( ヴェルナッツァ )に立つ、要塞のような見晴台が見えてきました。
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マラローナ村をチンクエ・テッレ観光の象徴のように撮影したポスターや絵はがきを多く目にしましたが、このヴェルナッツァ村が、「5つの村の中で一番美しい村」といわれているそうです。
でも、正直なところ、海側から眺める風景はどれも似たり寄ったりで、どの村も同じに見えてきました。

海岸沿いに連なる、固い岩盤を砕いてできた石垣の畑。本当に厳しい場所に葡萄畑やオリーブ畑があります。
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リグーリアの人たちは、昔からこんな厳しい地形で農業をしているのかと、ただただ驚くばかり。
足を滑らせたら最後ですね。


あっというまに、Monterosso al Mare( モンテロッソ・アル・マーレ )の港に到着です。チンクエ・テッレに、いよいよ上陸です。
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船を下り、駅に向かいます。
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トンネルを抜けると、
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美しい海岸線。Monterosso al Mare( モンテロッソ・アル・マーレ )の美しい海岸が待っていました。
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潮風にあたり、かなりヨレヨレな顔をしていますが、これより鉄道でチンクエ・テッレを巡ります。
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 (つづく)