ブログネタ
フォルクローレ に参加中!
まずは、この映像を、先入観を持たずにご覧下さい。



これは「TE RECUERDO AMANDA(アマンダの想い出)」という、南米チリを代表する歌です。
この歌を、また、偉大な作曲家であり歌手である Jara(ハラ)の名前を
知らないというメスティーソ(南米のモンゴロイドと白人の混血系の人々)は、
恐らくアンデス諸国には居ないと思います。

普段このブログでは音楽については多くを語らないのですが、
大好きな南米のアーティストである「inti-illimani(インティ・イリマニ)」を検索していたら、
偶然にも、生前のヴィクトル・ハラの映像を発見しました。
恐らく私のブログに来て頂いている皆さんは、ワイン好きの方が多く、
物事の本質を直感的に捕らえる能力に長けた、感性豊かな方ばかりだと思いますので
この歌の持つ本質を、直ぐに見抜かれたことと思います。

さて、何を感じましたでしょうか?
歌の持つ力、魂の輝き、人間への愛おしさ、自由と平和への祈り…。
たとえスペイン語なんか分からなくても、
Jaraの歌から、そうした想いを感じ取られたのではないでしょうか?

Jaraは、1973年に起こった「チリ・クーデター」の際に犠牲となった歌手です。
日本でもディープなファンが多く、
彼の略歴を纏めたサイトが沢山ありますので
詳細な情報を知ることができます。
さて、皆さんご存じのように、
南米には「インディオ(インディヘナ)」と言われる先住民族の方々だけでなく
メスティーソという白人とインディオの中間の肌の色の人々や
アフリカから奴隷としてきた黒人とメスティーソの混血、更には
その混血と白人との混血、
さらには、、と色々な肌の色の混血の方々が沢山沢山暮らしており、
その国の社会活動・経済活動の根底を支えています。
資本家と呼ばれる人々は今も昔も極々一部であり、
彼らの多くが日本では考えられない様な厳しい格差社会の底辺で
必至に働いています。

Jaraが生きていた時代、
「白人さん達の持ってきたピカピカの生活に負けん位、ワシらもエエモン持っとるでぇ!」
という嫉妬心に似た民族意識(先住民族文化であり、メスティーソの文化ではない)と、
「なんで、一部の金持ち連中の為に、死ぬまで搾取続けなきゃ、あかんのや?!」
という社会の不条理に対する、怒り・諦め・慟哭が社会に蔓延し、
「民衆」と呼ばれる社会的弱者は、正に爆発寸前というような状況下でした。

こうした中、多くの南米のアーティスト達が民衆や先住民族の側に立ち、
左翼的な芸術活動を行い、政治活動にも積極的に参加していくようになります。

この一連の、芸術と民衆活動が結びついた反資本家運動を称し
「ヌエバ・カンシオン運動」と呼び、
数ある「フォルクローレ・ミュージック」の中でも、
政治色の強いジャンルの名称「ヌエバ・カンシオン」として確立していきました。
一言で言えば、「民衆よ!立ち上がれ!」音楽です。

僕は学生時代、この南米音楽「フォルクローレ」に没頭しました。(一応、80年代後半ね)
僕のいた大学にはフォルクローレを演奏する「個性的な」サークルがあり、しかも関東フォルクローレ連盟の中でも、アウトゥクトナ(民族伝承音楽)を得意としていた、かなり異質な存在でありました。
ロス・ルパイ、コジャマルカ、ロス・マシス、アワティーニャス……。思えば、骨太のボリビアのフォルクローレにメロメロでしたなぁ。


さて、60年代末から73年まで「ヌエバ・カンシオン」といえば、
チリでは「 Violeta Parra (ビオレータ・パラ)」と「 Victor Jara (ヴィクトル・ハラ)」が、
所謂、カリスマ的な存在でした。(Violeta Parraの音楽も素晴しいのでお時間があると時にYouTube等で聞いてみてくださいね)
今回、僕が検索していた「 Inti-illimani (インティ・イリマニ)」も、
Jara の指導を強く受けたアーティストの1つで、Jara の曲を多く演奏しています。

1970年、遂に自由選挙においてJara達の推す、
サルバドール・アジェンデ博士(大統領)なる人物を指導者とする
社会主義政党が第一党を獲得します。
正に、芸術家と貧乏っちゃま達が政府を転覆させた瞬間でした。

しかし、それまで甘〜い汁をしゃぶり続けてきたお金持ち連中や、
既得権益にどっぷりつかった軍が黙っているわけがありません。

1973年、当時「赤狩り」で躍起になっていた「自由の国」アメリカ様のご支援を受け、
ピノチェト将軍が率いるチリ軍が、彼らに対して粛正活動を始めます。
(キューバ→ベトナム→チリ・クーデター→アルカイダとアメリカ様は全く懲りませんね)

国民に4分間に及ぶメッセージをラジオ越しに残し、アジェンダ大統領は自殺。
(実は、射殺されたのだ、との説が有力です)
ヴィクトル・ハラは、左翼的な市民と伴に、
収監所溶と化していたスタジアムへ連行され監禁されます。

スタジアムの中で虐待を受ける市民を励まそうと、
2日間、Jara は歌い続けました。

彼の歌を耳障りに感じた兵士の一人が、2度と演奏ができないように
彼のギターを取り上げ、壊しました。

それでも歌を止めない Jara 。
今度は、両手で拍子を叩き、更に激しく歌い続けます。

自尊心を傷つけられ、怒りを覚えた兵士は、
この屈服しない囚人に対して
手を叩くことが出来ないようにと、
持っていた銃剣で、彼の両腕を撃ち砕きました。

痛みに悶える Jara 。
それでも歌を止めようとしない。

次の瞬間、
口を銃剣で裂かれ、
顔を刻まれ、
最後は頭部に銃弾を打ち込まれ、絶命の時を迎えます。

今の僕と同じ、41才で生涯の幕を下ろされてしまいました。


そんな Jara と彼の作品を象徴する曲が、この「TE RECUERDO AMANDA(アマンダの想い出)」です。

特にJaraの作品は、労働者に軸足を置いたものが多く、
この「アマンダの思い出」も、
実際にあった炭坑事故を舞台として
工場労働者として働く若いカップルの姿をテーマに作詞しています。
因みに、「アマンダ」と「マヌエル」は Jara の母・父の名前だそうです。

僕のつたないスペイン語訳だと、だいたいこんな感じになります。


Te recuerdo, Amanda,
la calle mojada,
corriendo a la fabrica
donde trabajaba Manuel.
La sonrisa ancha,
la lluvia en el pelo,
no importaba nada:

アマンダの面影、
マヌエルが働く工場へと
濡れた小道を駆けていく。
溢れる笑顔、
雨に濡れる髪、
そんなことなんて、どうでもいい

ibas a encontrarte
con el, con el, con el,
con el, son cinco minutos.
Suena la sirena,
de vuelta al trabajo,
y tu caminando
lo iluminas todo
los cinco minutos
te hacen florecer.

ただ彼に、彼に、彼に、たった5分 彼に会うために。
サイレンが響く、
早く仕事に戻れとばかりに。
そしてまた君は歩き出す。
全てを輝かせながら。
その5分が、君に花を咲かせた。


※Repeat

ibas a encontrarte
con el, con el, con el,
con el, que partio a la sierra,
que nunca hizo dano
que partio a la sierra
y en cinco minutos
quedo destrozado.
Suena la sirena,
de vuelta al trabajo.
Muchos no volvieron
tampoco Manuel.

ただ彼に、彼に、彼に、山へ向かった彼のもとに。
他人を傷つけたことのない彼、
たった5分でバラバラになった。
またサイレンが響く、
早く仕事に戻れとばかりに。
でも、だれも戻ってこない。
愛しいマヌエルも…。

※Repeat


余談ではありますが、
僕が、アンデス・フォルクローレの聖地ボリビアにて楽器を作りながら下宿している間は、
ボリビアのアーティストの曲は殆ど部屋でかけていませんでした。
何故か、チリのアーティストである inti-illimani が演奏している
この「TE RECUERDO AMANDA(アマンダの想い出)」と、「LUCHIN」という曲を、
延々と部屋で流していました。
厳しい環境の中で、当時の僕を支えてくれた、忘れられない曲です。

さて、その inti-illimani はというと、
粛正の嵐が吹く中、偶然にも(運良く?)海外演奏中で、軍に捕まることは免れました。
しかし、国外追放となり(戻ったら処刑が待っています)
なんと15年の間、世界を放浪することになります。

追放をうけている間、イタリアに演奏の拠点を構えましたが、
放浪中は日本にも来日したことがあります。
当時のサークルの先輩方(僕が入部前)は、国を追われたばかりの
inti-illimani メンバーと実際にお会いし、彼らの前で演奏をしたそうです。

また、1997年日本・チリ修交100周年事業として、
外務省の外郭団体である国際交流基金の招きにって来日しました。
父が死んだ直後でしたが、そのコンサートには僕も行きました。
リーダーであるオラシオ・サリーナスとは講演後、
残った観客との通訳をしながら、いろいろお話をさせていただきました。
「僕らは貴方達の作る音楽が好きで好きで、いつも演奏させてもらっていますよ」というと
本当に喜んでくれました。





実際、個人的な趣味からすると、血気盛んな頃のinti-illimaniよりも、
イタリアに拠点を移しヨーロッパのアーティストと交流を深め、
バロック的な要素やドイツ作曲法やラテンJazzの要素まで吸収し、
独自の世界観を創り出した、近年の作品の方が私は好きです。

時代や環境の変化に抗いながらも、
聴く側の内側へ静かに愛や平和の大切さを伝えてくる。
しかし、Jaraから受け継いだ自分たちのDNAは絶対に忘れない。

そんな彼らの演奏スタイルがに感銘を受けます。

国外追放令が解除された年、
チリ国民は彼らを「自由の象徴」として熱狂的に迎え入れました。
正に「英雄帰還す」、です。

しかし、近年グループは考え方の違いから、2つに分裂してしまった。
inti-illimani Historico(歴史的インティ・イリマニ)
inti-illimani Nuevo(新・インティ・イリマニ)

大まかにいうと、「リーダーのオラシオ・サリーナスを中心に、
歴史的な背景を重用しするお爺さんチーム」と
より「商業的成功を推し進めたい合流アーティスが集まったヤングチーム」
と言う感じでしょうか。

ファンとしては大変悲しい気持ちですが、
2つに分かれたことも、時代や環境の変化に適応し続けてきた
inti-illimani の歴史にふさわしい出来事なのかもしれません。

イタリア・ワインで言えば、
ジャコモ・コンテルノとアルド・コンテルノが袂もを割れても、
ともに偉大なバローロの造り手として存在しているように、
両グループとも末永く活躍して欲しい想いで、今回は inti-illimani の事も記しました。